吉野町について
吉野町の概要
吉野町は、昭和31年に旧吉野町、上市町、中荘村、中龍門村、国樔村、龍門村が合併して生まれました。 奈良県の中央部、吉野郡の北部にあって、町の中央部を東から西に吉野川が流れています。町域の一部は吉野熊野国立公園、吉野川・津風呂県立自然公園に指定されており、全国的には吉野山の桜で有名です。春には豪華絢爛しかも気品に富む桜が咲き乱れ、人々の心を魅了します。 また、「吉野」は、古くは古事記、日本書紀、万葉集にも記述があり、歴史の大きな舞台にも幾たびか姿を現してきました。後に天武天皇となった大海人皇子が壬申の乱の前に吉野に身を潜め、平家を討った源義経が兄頼朝に追われて吉野に逃げ込み、北条幕府を倒して建武の中興を遂げた後醍醐天皇が南朝の拠点として選んだのも吉野です。 一方、吉野林業地帯の一部を構成している吉野町は、その地理的条件から吉野材の集散地として発達し、全国に銘木吉野材を供給してきました。この吉野材の端材を加工して割り箸の生産も盛んで、香りの良さと爽やかな音をたてて真二つに割れるのが特徴です。 その他の特産品としては、手漉き和紙・柿の葉ずし・吉野葛等があり、全国的に有名です。
吉野町の所在地・人口・世帯数
面積 | 95.65km2 | |||
---|---|---|---|---|
人口 | 6,229人 |
参考:平成27年国勢調査数値 7,399人
|
||
男 | 2,840人 | 女 | 3,389人 | |
世帯数 | 2,659世帯 |
参考:平成27年国勢調査数値 2,946世帯
|
吉野町のシンボルマーク
吉野町の頭文字の「よ」を図案化したもので、「よしの」の三文字を一文字に表現したものです。
円はたゆみなき将来の発展を意義づけ、両端の軸は和を基盤とし崇高な理想と自由及び幸福追求を表現したものです。
吉野町民憲章
わたしたちの先人は、森と水を大切に守り伝え、吉野の山河の美しさ、清らかさ、厳しさのなかで、暮らしを営み豊かな文化を育んできました。
わたしたちは、これを受け継ぎ、未来に向けて持続し発展するまちをつくることを誓い、ここに吉野町民憲章を定めます。
わたしたち吉野町民は
- 互いを敬い、支え合い、みんな生き生きと安心して暮らせるまちをつくります。
- 一人ひとりが、まちの担い手として力を合わせ公正で開かれた町民主体のまちをつくります。
- 自然を守り、歴史文化に親しみ心豊かなひとを育むまちをつくります。
- ふるさとを愛し、地域の宝を活かし誇りに思う未来に希望あるまちをつくります。
- 人々を温かく迎え、人と人がつながる明るく活気あふれるまちをつくります。
吉野町まちづくり基本条例
吉野町民憲章は、吉野町まちづくり基本条例の基本理念をもとに策定しています。
吉野町まちの歌
音源
■ピアノタイプを聴く
■オルゴールタイプを聴く
町の「花」「木」「鳥」「魚」
町の花「シロヤマザクラ」
「シロヤマザクラ」は、我が国の桜の古来種の中で最も代表的な花で、古くから詩歌に詠まれ親しまれてきました。吉野山の桜は、蔵王権現のご神木として寄進植樹されてきたもので、ふるさとの歴史文化を物語る花です。
町の木「吉野杉」
「吉野杉」は、日本三大人工美林に数えられ、恵まれた気候風土と伝統的な集約技術によって育てられ、古くから良質材としてその名が知られてきました。吉野材の集積市場として発達した本町にとって、ふるさとの先人と自然が合い生み出した暮らしを支える恵みの木です。
町の鳥「ウグイス」
「うぐいす」は、平地にて鳴き始める季節が早春であることから春告鳥とも呼ばれています。吉野の里山に響き渡るさえずりで、穏やかな春の訪れを知らせてくれる、誰もが親しみのある鳥です。
町の魚「桜鮎」
鮎は、姿の美しさ、にがみをもった風味と香りから日本では川魚の王ともいわれています。特に吉野川の鮎は、吉野の桜に由来した伝承も伴い、「桜鮎」の名がつけられ親しまれています。青葉若葉の美しくなる季節のふるさと吉野を代表する魚です。