名桜・桜群
名桜
勝手桜(勝手神社)
中千本の勝手神社裏にある高さ10mもの老桜。来歴はわからないが明治のはじめ、地元の大工職が竹林院の奥庭の一角にあった天人桜と称せられた枝垂江戸彼岸桜の巨樹付近に変わった桜の一株を見つけて、勝手神社の裏山に献植したものといわれる。枝垂江戸彼岸桜とシロヤマザクラの自然交配によるもので、花は中輪で、淡い桜色を呈し、中晩咲き。結実はするが未熟のまま落下し、発芽しない。
夢見桜(桜本坊)
大海人皇子(天武天皇)が夢に見た桜。冬の夜に桜花爛漫の夢を見、翌朝起きてみると吉野山でこの桜1本だけが咲いており、これは吉兆と占い、その後壬申の乱に勝利した天武天皇が、この桜木の下に寺を建てて桜本坊とした。
御車返し(幣掛神社)
大輪の一重と花弁6~8枚の花が同時に咲く。色は淡い紅色。別名ヒトエヤエ(一重八重)という。
四本桜(金峯山寺蔵王堂)
蔵王堂の正面にある四本の桜。元弘3(1333)年北条方に攻められた大塔宮護良親王(後醍醐天皇の第3皇子)は、吉野城落城寸前にこの桜の前で最後の酒宴をしたといわれる。
天人桜(竹林院群芳園奥の庭)
うす紅のしだれ彼岸桜で紅と白の中間の花が咲く。吉野山内では最も長寿の老木といわれている。
桜群
長峰の桜
橋屋にある行者堂から吉野神宮につづく古道と吉野神宮から下千本観光駐車場へと続く県道の両側にあった桜並木。尾根筋に沿って桜並木が続いていた。
嵐山の桜
下千本観光駐車場東側にある山を嵐山と呼び、このあたりの桜を嵐山の桜という。亀山上皇は、嵯峨に離宮を造営されたとき、吉野山の桜を洛西の地に移植され、吉野の嵐山に模して嵐山の名をつけられた。また、この付近から七曲り坂にかけて、天文7(1538)年に大阪の豪商、末吉勘兵衛という人が1万本の桜の木を寄進したという記録がある。
亀石桜
七曲坂中腹の桜群。
花園山の桜
丹治川をへだてた山(ほおづき尾)の桜群。
桜田
ほおづき尾の麓の桜(吉野駅周辺)
下千本桜
吉野山下千本観光駐車場や昭憲皇太后御野立跡付近から一望できる桜。
「これはこれはとばかり花の吉野山」
と安原貞室が詠んだのがこのあたりの桜。
関屋の桜
ロープウェイ山上駅から黒門付近の桜。かつて黒門は関所とされ、付近の坂道を関屋坂という。昭和初年頃まで老桜があり、このあたりの桜は関屋の桜と呼ばれた。
相叶の桜
中千本の相叶の岡にある桜群。
布引桜
上千本、天王橋から猿引坂にかけての左右にある桜並木。春の花盛りになると、あたかも布を敷きつめたように桜の花が咲き誇ることからこの名がついた。
雲井の桜
獅子尾坂を登りつめた所にあった。巨大な老木であったが、昭和30年代に台風により倒れた。
「ここにても雲井の桜吹きにけり 誰かりそめの宿と思ふに」(後醍醐天皇)
滝桜
花矢倉付近一帯の桜群。花の盛りに中千本から見上げると、満開の桜花が滝の一時にたぎり落ちるような壮観を呈するのでこの名前がつけられた。